Suzukiy011203 「現代政治の理論と実際」レポート
「大国とテロリズム」 e011711 鈴木陽一
アメリカでの史上最大のテロ事件発生からもう三ヶ月あまりが過ぎようとしている。その後、事態は様々な展開を見せたがいまだ解決には至っていない。戦争の長期化を懸念する声も強い。さて、事件直後アメリカはすぐにテロに対し立ち向かうという意思表明をした。アメリカの呼びかけに対し、大国イギリス、ロシア、中国などはこれにすぐに呼応した。テロの撲滅という共通の命題に、共に取り組んでいくためである。以前から、ロシアではチェチェンでの紛争に頭を痛めていた。私は今回のテロと、チェチェンでの紛争には、大国が小国を圧迫しているという共通点があるのではないかと思う。そこで、私は今回のレポートを、このアフガニスタンでの報復戦争とロシアにおけるチェチェン紛争とを比較しながら、大国とテロリズムということをテーマに書いていこうと思う。
(1) なぜチェチェンを巡り争いが起きているのか
チェチェン共和国は、(地図;http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/anzen/europe/178map01.html)「黒海とカスピ海の間にあり、北にロシア、南西にトルコ、南東にペルシャ(イラン)という昔から強大だった三つの国に囲まれ、いくつもの勢力が、この地を支配しようとしては去る、という歴史が繰り返されてきた。だが、そこには五千メートル級の高峰が連なる険しい山脈があり、古代からここに住む人々は、強国が攻めてくると山に篭もり、難を逃れたり、抵抗運動を展開したりしてきた。」(田中宇の国際ニュース解説参照。以後、「」はここからの参照とする。)この辺りはアフガニスタンとそっくりな点である。ソ連がアフガンに侵攻した時も、アフガン兵は山岳ゲリラ戦を展開し、根強く抵抗し続けソ連を追い返す事に成功したという過去も存在する。今回も米軍に対し、山岳においてゲリラ戦をしようとしているとの見方も強い。
では、今のロシアとの争いはいつから始まったのだろうか。一八世紀ごろからオスマン帝国の衰退に伴い、ロシア帝国が南下政策を開始すると、周辺の民族は次々と征服されていった。そんな中で一番激しい抵抗をして見せたのがチェチェン人であった。しかししぶとい抵抗を見せながらも、結局ロシアに屈服した。この戦争でチェチェン人の三分の二が死んだといわれる。チェチェンの人々はイスラム教徒である。この地には一八世紀ごろにイスラム教が普及し始めたが、信じられていたのはイスラム教の中でも世俗的な色合いの強いイスラム神秘主義(スーフィズム)であった。ロシアの支配が始まると、モスクの破壊などの宗教弾圧が始まった。しかしスーフィズム信仰はモスクを必ずしも必要としないため、各家々で密かに信仰されていた。この宗教的受難がかえって人々の信仰心を強くした。その後ロシア革命が起きると、チェチェン人とその周辺のイスラム教徒は『北カフカス首長国』の建国を目指し、ロシアの皇帝軍や共産党軍と戦った。結果、自治州となったが、それは名前だけであり、またロシアの圧制が始まった。そしてスーフィズムは『反革命』と捉えられ、徹底的に弾圧された。しかしそのチェチェンにも転機が訪れた。1991年、ソ連の崩壊である。チェチェンはソ連が崩壊したその年、すぐに独立を宣言した。翌年の、新しいロシア連邦結成を目指した条約にも調印しようとはせず、長期間に渡ったロシアの支配から脱却しようとしたのである。これに納得しないロシアは、二年間チェチェンと交渉を試みたが、チェチェン側の独立の意思は固く、話し合いの余地が無いと踏んだ。そして手段を暴力に切り替え、1994年9月、再びチェチェンへと侵攻していった。これが少し前にさかんに報道されていたチェチェン紛争のはじまりである。侵攻を開始した当初、ロシア軍はたやすく首都グロズヌイに進軍し事態はすぐ収まるかのようにみえた。だが市内ではゲリラ戦が続き、結局ロシア側は三回もグロズヌイ攻略に失敗し、軍を退くことを余儀なくされた。そして1996年チェチェンは独立を勝ち取ることに成功した。
(2)チェチェン勢力の原理主義化
これまで述べた、チェチェンの独立に至るまでの過程は、ただ聞くと武勇伝のようであるが、この背景に例のイスラム原理主義過激派の存在があるのを忘れてはならない。1987年、旧ソ連でペレストロイカが始まると、チェチェンでは信仰の自由が少しずつ進み、モスクの建設や、メッカへの巡礼もさかんになされるようになった。しかしイスラム圏への交流の活発に伴って、「中東からのイスラム聖職者の流入や、メッカへの巡礼や留学によって中東のイスラムを学んできたチェチェン人が増えた結果、地元のスーフィズムの聖職者と対立するようになった」。メッカがあるサウジアラビアなどで信じられているイスラム教は『ワッハビズム』と呼ばれ、スーフィズムにみられる、聖者崇拝や、歌・踊りの宗教儀式を否定した。伝統にのっとった厳格な信仰を信者に要求するワッハビズムは原理主義的側面をもつ。それはやがて若者の間で広まっていくこととなる。ソ連の崩壊でチェチェン内にあった国営の工場が撤退し、多くの若者は職を持たずにいた。暇な若者のエネルギーは、ワッハビズムのモスクで教えこまれる、『反ロシア、反西欧』というイスラム原理主義の考え方に注がれていった。ワッハビズム勢力はサウジアラビアのオイルダラー(油田で儲けた人々)に資金面で支えられていたため、時の政権も、原理主義的な傾向を示していかざるを得なかった。1994年のロシアのチェチェン進攻は、このようなチェチェンの原理主義化を恐れての事であった。このときの紛争には『アフガニー』と呼ばれる、ソ連のアフガン侵攻の際、戦った経験のあるベテラン兵が中東全域からチェチェンにやってきた。これにもバックにはビンラーディンがついているとされる。このアフガニーを育てたのは他でもないアメリカである。アフガニーはアフガン戦争が終了した後も各地で『聖戦』を繰り広げたのだが、チェチェン軍はロシアを追い出した後の1999年夏、イスラム原理主義勢力を広げるため、東隣のタゲスタンに侵攻を開始した。これを境に、チェチェンでの問題は、単なる独立を勝ち取るための闘争から、汎イスラム原理主義へと質が変化したと言えるだろう。これも、大国に対抗するための力へ渇望であると思う。それを阻止し、テロリスト退治によって支持率を上げたいプーチンの思惑もあり、紛争は今も続いている。
(3)これまでのアメリカとロシアの関係
アメリカは1994年のロシアのチェチェン侵攻の際、解決・和平に向けてこれといった手段を講じなかった。「国際社会を主導するアメリカは、親米政策を貫いてきたエリツィン大統領の肩を持った。アメリカがエリツィン政権を敵視して追い詰めれば、エリツィンのライバルである旧共産党勢力が復権する可能性があり、冷戦時代の米ソ対立に逆戻りしかねなかった。欧米はチェチェン紛争をロシアの内政問題としてみなし、侵攻を傍観した。」しかし、大統領がそれぞれ変わると状況は少しずつ変わっていった。プーチンが大統領になると、チェチェンへの強硬な弾圧強化により、リーダーを渇望していた国民の多大な支持を得るようになり、共産主義勢力も力が弱くなってしまった。共産主義の影が見えなくなると、ブッシュは親ロ政策をとる必要も対して無くなったので、今度は一国主義的な立場をとるようになっていった。ミサイル防衛構想のプロジェクトや、京都議定書の批准拒否などは、これの最たるものではないだろうか。チェチェンでの紛争についても、ロシアが人権侵害をしているなどとして非難していた。ただアメリカが主体的に解決に向け取り組んでいくといった姿勢はみせておらず、あくまでロシアを非難するための材料として利用しているという見方もある。そして2001年9月11日、史上最大のテロが発生すると、態度は一変した。チェチェンでのイスラム原理主義過激派の弾圧を容認し、今度はロシアと手を組みテロ根絶へ向けて協調外交を展開し始めた。
(4)考察
このような、大国とイスラム原理主義、そしてテロリズムの三つを考えると、問題の根は非常に深い。なぜ原理主義的な考え方が広く波及したのかといえば、そこには、今置かれている不遇な社会に対する不満の現れが表面化しているのだと思う。かつて強盛を誇ったイスラムが今の国際情勢ではそれほどの力を持っていない。国内には飢えや貧困、劣悪な衛生環境など、深刻な問題が山積みになっている。それらの原因のすべてを欧米に責任にして、反欧米というスローガンを唯一のものとして、みずからのアイデンティティを保っているように私には思える。しかしその一方で、根底には大国が弱小国を圧迫しているということも事実であるのではないだろうか。冷戦時代に米ソ両陣営が、それぞれの仲間を増やそうとしたり、または石油の利権を狙ったりして、中東への干渉をしてきたことは紛れもないことであり、それによって力を持たない弱小国は、大国のエゴに振り回されていたのではないか。仮にそれから逃れようと自らも強くなろうとし、軍備を拡張しようとすればすぐさま欧米の反発を買い、制裁を加えられてしまう。石油が欲しくて隣国に侵攻したフセインはアメリカにコテンパンにされてしまった。
チェチェンでのことも今回のアメリカで起きた事件にしても、彼らはテロ・ゲリラという手段によって大国のエゴイズムに対する抵抗を示してきた。はじめに言っておくと、私はテロという行為にはやはりどちらかと言えば賛成することはできない。一般市民が突如として被害に遭い、尊い人命が失われるのは、限りなく心が痛む。今回でも、ハイジャックされた飛行機の中から家族に携帯電話で伝えたメッセージなどを読むとやり切れない気持ちでいっぱいになる。しかし、可哀想という気持ちだけでは何も解決しない。そもそもテロという行為に頼るのは、正面からの戦争には勝ち目が無いとはっきり分かっているからである。真っ向からぶつかり合って勝ち目があるのなら、姑息な手段であるテロに頼ったりはしないはずだ。つまり彼らは、欧米のエゴイズムに対し、黙って従うか、それともテロという名の抵抗をすることしか、残されてはいないのだ。チェチェンにしても、アフガニスタンにしても、欧米諸国は、その弱小国の大国への必死の抵抗を、先進国対イスラム原理主義という図式にはめ込んで捉えているのではないか。危険な考えかもしれないが、もし、仮に自分の国が、どこかの国に虐げられ、宗教的価値観も無視されて、黙って従うことを余儀なくされた場合、私もテロやゲリラという行為に身を染めるかもしれない。そして今、アメリカを筆頭に世界の主要国はテロ組織根絶の為にタリバンを攻撃している。この問題が、今後どうなっていくのかは誰にも分からない。良い方向にいくのか悪い方向にいくのか。ありきたりで、理想論にしかすぎないかもしれないが、世界の人々が互いを認め合い、宗教の違いを乗り越えて分かり合えるようになったらどれだけ素晴らしいだろうか。おそらく十年二十年では実現しないだろう。もっと長い視点から、真の国際平和へ向けた努力が必要であることは間違いない。きっと将来はそんな日が来ることを祈りつつ終わりにしたい。
以上
参考ホームページ
様々な国際的なトピックスを取り上げ解説しているページ。今の世界の状況を詳しく知ることができ、非常に読み応えがある。
http://www.geocities.com/kafkasclub/index.html
日本カフカスクラブのページ。チェチェン紛争の問題を主に取り上げている。